亜海都美
神社だより(平成15年6月10日号)

麗しく整備された塩の道北参道

 去る5月18日、神社北神苑東側の道祖神の並ぶ、塩の道北参道の竣工式が斎行されました。
 塩の道とは越後の国(今の新潟県)より、糸魚川−小谷−白馬−大町−穂高−豊科を経由して松本へ到る、古代よりの主要路である千国街道のことをいい、海のない信州へ海産物や、特に人が生活していく上でかかすことのできない、塩を運んだ路のことをいいます。
 本体道祖神は町や村の入口に立ち、外から悪霊や禍事(まがごと)が入り込んだりしないように又、通行する人々をお守りする神様ですが、安曇野の道祖神の特徴として男女二柱の神様が彫られており、昔から子孫繁栄・縁結び・五穀豊穣の守り神としても崇められています。
 北参道にお鎮まりする道祖神は、八坂村や美麻村など県内からお遷ししたり、または新しく寄贈されたもので全部で十体あり、町内の道祖神と違い砂岩でできており、趣の異なったものです。
 この度は、観光客又は道祖神巡りにみえた参拝客の一番先目につく、穂高神社の参道である長さ87メートル幅4メートルの参道を改修、整地する運びとなりました。
 当日は、中村建築研究所様・武井組様・総合石材様の工事関係業者、氏子総代、三世代家族また大家族の皆様方、約50人をお招きし社殿にて竣工報告祭を斎行後、場所を移しテープカットの後、新緑の爽やかな天気のもと、我々の先祖が歩んだ道を巡るように真新しい塩の道の渡り初めを終えました。

塗り直された随身像
−江戸後期の崇敬者
井口郡有奉納の右大臣、左大臣随身像と狛犬−

社殿に向かって右側の鎮斎殿にある右大臣・左大臣随身像と若宮の前にある狛犬は井口郡有なる人が明和6年(1769)頃に大幟・燈籠と共に寄進されたものです。

井口郡有は、享保年間に大庄屋を勤めていた近江屋(近江薬局)の二男として享保7年(1722)に生まれた。当時近江屋は、たばこを甲州や江戸方面に販売していたが、郡有は早くから江戸へ出ることを志していた。そして、漸く父母の許しを得て手元金を頂き享保19年、12歳の時穂高神社社頭に誓いを立て、堅い決心のもとに江戸深川へ出て、米穀、木材などを商った。豪胆にして細心の人で、商売は順調に進み、幕府の工事請負などをして巨万の試算を蓄積した。
 郡有の仕事で有名な話に、明和元年(1764)に将軍家治が東照宮150年法忌のため日光社参するに際し、江戸から30余里の日光街道の土手に芝を植える工事が幕府からでたが、何分にも火急な、しかも大事業なので誰も引き受け手がなかったが、郡有は引き受け、芝を植えるかわりに稗を播いて、数日にして長い街道はすべてビロードの様な若緑に掩われ、その見事さに将軍いたく感心しおほめの言葉がかかった。
 このように機知を発揮して商機は順調に伸び、大小20有余の藩に出入りしその用達をなし、三十万両余の身代となった。が、郡有には実子(男子)がなかったので、兄半蔵の長男喜太郎にその家産を全て譲り、その弟の喜平次を養嗣子として天明4年(1784)61歳の時に望郷の念もあり、郷里穂高に帰り家を建て、近江屋の分家江戸屋(井口テーラー)とした。
 その時、兄半蔵と共に46條の家訓(井口家蔵在)遺書を書き残したが、その一條には「神恩にたいし毎月3日(朔日、15日、28日)には、神明に神酒をそなえ参詣し、分相応の奉加をすべし」としるされている。郡有は終身氏神に奉仕の一念にい燃えていた日とであった。が、文化6年(1809)、87歳で深川町北川の邸で亡くなった。
 狛犬は寄進された時は大鳥居の前にあったが、穂高神社昭和15年に国幣小社になった時に、今の若宮の前に移された。その台座には東都深川井に郡有、明和6年4月14日と刻まれている。江戸で作られ手車で運ばれて来たと古記述にある。
右大臣、左大臣随身像は長い年月を経て傷みがでてきたので、井口準治朗さんご夫妻が大正末期と昭和初期の二回にわたり、補習塗替されました。が、その後数十年を経て再び傷みがでたので、準治郎さんの次女の高橋佳史御夫妻(高橋歯科医院)が、人形師の保尊和夫さんにお願いして、完全に補習塗替をされ寄進して下さいました。
この随身像、狛犬とともに二百三十余年前のもので、作者は不明なのですが、貴重な文化財でもあります。
 なお江戸屋の九代目は研成義塾を創立した、井口喜源次元生であります。

 末筆になりますが、今回の塗装を御奉納頂きました高橋御夫妻深く感謝いたしますともに厚く御礼申し上げいたします。

参考文献 穂高神社史 近江屋古文書より

夏越(なごし)の大祓

大祓式は古代より伝わる儀式で年に2回全国の神社で執り行われます。
 この祓えは神代の時代、イザナギの大神が黄泉の国へ行き、身についた穢(けがれ)を祓い清めたことが始まりです。
 現在では年中行事となっておりますが、平安時代の頃は6月と12月の晦日に親王以下在京の役人を一同に集め、万民の罪や穢(けがれ)を祓い、またこの他に大嘗祭(天皇が即位して一番初めの*新嘗祭)などの大きな祭典や、厄災にみまわれた時などの折に行われていました。
 人々は、日常生活を営んでいると知らず知らずの間に過ちや罪などの禍事(悪いこと)をしているものだと昔の人は考えていました。いつの頃からかその禍事を紙の人形に託し、祓い清めるようになりました。
 氏子の皆様には一家に一体、人形を配布致しますので、ご家族の住所、氏名、生年月日をお記しの上、お志を添えて当日までに社務所へお納めください。
 人形に罪穢を託す方法は、右手に人形を持ち左肩から左胸に撫でおろし、次に左手に持ち替えて右肩から撫で下ろして、今一度右手に持ち替えて左胸に撫で下ろし最後に息を吹きかけて終わりとなります。
 当社では6月は30日の午後5時より「夏越の大祓」が斎行されます。是非一度神職関係者と共に芽の輪をくぐり、罪穢を祓い残り半年を清々しい気持ちでお過ごししませんか。
(*その年とれた穀物を神様にお供えする祭、現在の新穀感謝祭)

鈴木哲也先生「穂高神社讃歌」を熱唱

4月29日、町の早春賦歌碑管理委員会主催の早春賦歌碑に合わせ、毎年神社に歌の奉納を頂いています鈴木先生が今年もお越しくださいました。最初3、4曲奉唱いただく予定でしたが、当日先生は風邪を召しており、先生ご自身による作詞作曲、穂高神社の御神徳を讃える「穂高神社讃歌」の奉納のみとなりました。しかし、普段あまり機会のないテノール歌手の声に参拝者や観光客の皆様も足を止め聴き入っておりました。
人気バンド「サイコ・ル・シェイム」節分祭に来たる

「サイコ・ル・シェイム」節分祭に来たる!
 今年の節分祭は、当社としても初の試みである芸能人をお召きしました。先々号の神社だよりにも掲載しましたが、御神刀の奉納など当社を崇敬頂いております、 音楽事務所社長阪上正敏様の事務所より、所属の最近若者に大変注目を浴びておりますバンド、「サイコ・ル・シェイム」の皆様にお越し頂きました。
 若者の伝統行事離れの目立つ中、今一度目を向け直し、興味を持ってもらおうと企画されました。当日は神社の予想をはるかに上回る参拝客が参集し、大変な賑わいを見せました。インターネットの普及から県外からの参拝客も多く、盛大に幕を閉じました。
 今後もこの様な機会を作り、若者を中心に忘れかけている素晴らしい日本の伝統行事を伝えるべく活動していく計画です。

第5回 写真コンテスト募集

 例年開催されております「お船のある風景写真コンテスト」を、本年より「四季写真コンテスト」と名称を改め、お船だけに限らず一年を通して平成十五年における穂高神社の祭典や行事、四季の風景を撮影し、パンフレットやポスターなど観光用に使用できる作品を撮影頂き募集することとなりました。これまでとは多少内容が異なりますので、規定をご覧頂きましてご応募をお願い致します。

一、応募作品 カラー写真四ツ切サイズ
カラー写真LLサイズ
一、応募締切 平成十五年十月二十日(土)
一、作品提出先 穂高神社社務所 八二−二〇〇三
一、発表 平成十五年十一月一日 穂高神社参集殿
*申込用紙・詳細等は社頭並びに神社ホームページ(http://www.hotakajinja.com)にございます。

子供相撲・絵画展開催

 九月六日(土)の子供祭の際、例年通り子供相撲大会が南神苑にて開催されます。八月に詳細を回覧しますが、小学生なら男の子でも女の子でもかまいません。大勢の参加をお待ちしております。同時に参集殿にて、町内中学生の穂高神社を題材とした絵画を展示します。子供相撲と合わせて足をお運び下さい。
 また、例祭には御神前を賑わすイベントも鋭意企画をしております。乞うご期待!

霊峰 奥穂高岳へ

 当神社弐年遷宮祭、最後の事業「峯宮登拝」を左記の日程で行います。
 峯宮は穂高連峰最高峰、奥穂高岳(三一九〇m)の頂に鎮座し、主祭神 穂高見命が降りたった神聖な場所であります。七年に一度遷宮祭の翌年に行われるまたとないこの機会に、霊峰への登山に挑戦されてみてはいかがでしょうか。
 尚、大変高所、長距離の登山となりますので、誠に勝手ながら七十歳未満の体力に自信のある方のみの募集とさせて頂きます。

一、期日 七月二十二日(火)〜二十四日(木)二泊三日 雨天 二十八日(月)〜三十日(水)
一、 参加費 弐萬円 バス代・三日間の宿泊・食事代含む
一、 宿泊 涸沢ヒュッテ
一、 持ち物 水筒、副食物、雨具、着替え、軍手、ティッシュ、その他必要な物
一、 連絡先 穂高神社社務所 〇二六三−八十二−二〇〇三
一、 募集人員 先着三十名
一、 日程

二十二日 朝六時半神社発−上高地ターミナル−奥宮(参拝)−新村橋−横尾−唐沢ヒュッテ
二十三日 朝七時出発−奥穂高山荘−奥穂高岳 峯宮(参拝)−穂高岳山荘−涸沢ヒュッテ
二十四日 朝八時出発−横尾−奥宮−上高地ターミナル−穂高神社

備考 参加費は当日朝受付にて納金願います。

華やかな舞 浪速神楽

 江戸時代、浪速の地(現大阪府)で生まれた巫女舞で、他の神楽舞と違い舞の前に歌を奉納することが特徴です。二十八座(曲)が現存するなかで、今回穂高神社の職員が習得した舞は、式神楽、吾妻胡蝶の舞と、式神楽を変形した鈴扇の舞の三曲です。中でも吾妻胡蝶の舞は扇のまわっている様が蝶の飛び交う様子を表しており、とても美しい舞となっています。今後神社では、例祭などの祭典・正式参拝・御祈祷の際に随時取り入れていく予定です。

編集後記

 今号より神社だよりが「安海都美」と名称を改めました。「あまつみ」は当神社の祭神「綿津見」の神から出た言葉で、意味は「わた」は海を示し、「あま」は海に潜って漁をする女性を「海女」さんと呼ぶようなことから、「わた」と「あま」は同じ意味だということが分かります。「つ」は助詞の「の」、「み」は権威者・権力者を表し、「安曇」の語源です。
 地域の皆様に、「安曇」の地名の由来を知って頂き、海人族が祖先である我々安曇族と、海人俗の祖神を祀る当神社を更に身近に感じて頂こうと誌名の変更となりました。
 尚、題字は西川久壽男先生にお願いをしました。
 これからも、氏子の皆様と神社との架け橋として発刊して行きますので、よろしくお願い致します。

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