安海都美

神社だより(平成15年12月1日号)

穂高神社の仁王石

保尊重子

 以前ぼたんで名高い玄向寺を訪ねた時、主人が「この仁王様はどこから来たのか知っているか」と妙なことをいった。「あら、これは昔からここに居たはずよ。」と言うと、「元は穂高の神宮寺に有ってなあ、江戸時代の初期に引っ越して来ただぞ。」と。
大わらじを吊るしてあるのは脚の病が治りますようにと奉納されたものだが、「保高の仁王様」と言って祈願しないと効かないと言い伝えられてきたそうだ。
文献によると、元禄八年(一六九六年)水野忠直の代に、保高村の仁王像を行基の作と鑑定し、元禄十一年藩の用命により大村に移されたと記されている。
玄向寺は松本藩主水野忠直が父忠職の法明を取って、寛文九年(一六六九)に廟所の寺として創建され、仁王像が奈良時代初期に活躍した行基菩薩の作という証はない。「もしかしたら保高村の器用な農民が作ったのかもしれんぞ、なにしろ人形飾りがその頃から続いているでなぁ」とは主人の説。
保高村の神宮寺の創立は南北朝時代の始めだが、元禄二年に薬師堂と仁王門を新しく再建した。その支配は栗尾の満願寺から等々力町の眞龍院に移され管理されたが、元禄十一年には既に本堂と仁王門が無くなっている。本尊を失った薬師堂と空き家となった仁王門が残り、次いで薬師堂も取り潰された。その話が代々語り継がれ、文久二年(一八六二)の冬、地元四ヶ村(穂高町、穂高町区、等々力町、等々力村)から大勢出て、牧村から大石を数日がかりで引っ張ってきて仁王門の跡に立てた。
 今も穂高神社の南神苑の池の側に、元の位置ではないそうだが二つ烏帽子方の石が祀られ、しめ縄が張られている。面白いことにそこの立て札には、石川玄蕃様に寺を潰され、その後仁王様は浅間村に盗み取られたと二木文書から引用した文が記されている。玄蕃とは石川数正の康長のこと。
「あの立て札は変ね。石川様なら仁王様は正行寺へ行ったはずだし、さらに百年も前のことで年代が合わないわ、それにこっそり埋められる代物じゃないのにねぇ。」というと、主人はへ理屈いうな、ロマンが有っていいじゃねぇか」と。
北アルプスをずっと眺めておいでの玄向寺の仁王様が、その昔穂高の地で常念岳を背にしていたという話はどうやら本当らしい。
それにしても一目につかぬように引っ越しをするのは、さぞ大変なことだったろう。
いや藩の命令とあらば、涙を呑んで村人が街道筋に沿って見送ったのかもしれない。
仁王様の立て札の文面はともあれ、かつて穂高の中心に神社と寺が共存していたことを思うと感慨深い。
 

*奥宮通信*

約三十年前に奥宮にて挙式された細谷御夫妻と偶然奥宮で出合い、当時の思い出を私報に掲載させて頂きたいとお願い致しましたところ、快くお引き受け頂きました。また挙式の模様を納めた貴重な8mmをビデオテープに落しお譲り頂きましたこと、併せて御礼申し上げます。

 

人生の道標

細谷俊彦

 始まりは今から三十三年前、昭和四十六年七月。
風化した白い花崗岩に新緑のハイ松が、見事な縞模様を描き出した燕岳。見渡せば、頂上を囲んで広がる北アルプスの山々。翌朝、雲海の彼方に現れたご来光。数々の言葉には言い表せない程美しい風景を、私たちはこの地で見ることが出来ました。
いつかきっとこの美しさを子供達にも見せてあげたい、そう願いながら山を下り、目的地である上高地に辿りつきました。そしてここ穂高神社奥宮で、私達夫婦の出発点として、二人きりの結婚式をとりおこないました。
明神池湖畔の静寂につつまれた社に宮司様の祝詞が厳かに響き、身も心も新たなる思いにいっぱいとなりました。おりしも、奥宮に参拝に見えられた方々から、「おめでとう」「お幸せに」と声を掛けられた時は本当に感無量となり、この思いは忘れることの出来ないものとなりました。
十年目の昭和五十六年、子供達中心の楽しい生活はあっというまに積み重なり、息子は小学三年生、娘は小学一年生と成長し、十年目となるこの年、新婚旅行と同じコースを訪ねることとなりました。
中房温泉からの燕岳(二七六三m)登山は子供達にとって初めての北アルプス登山。汗を流しながら苦労の末に登った頂上から、北アルプスの山々や眼下に広がる雲海、そして美しい日の出の瞬間を子供達に見せることができ、十年前の念願もかないました。そして穂高神社奥宮では、この地で私達が結婚式を挙げたことを話して聴かせました。まだ幼い子供達が理解できたかは分かりませんでしたが、親子四人幸せに暮らし過ごしてきたことを感謝し、十年後、再びこの地を訪れるまで、家族の無事安泰を祈りました。
しかしながら二十年目には訪れることが出来ず、私達がこの地を訪れたのは二十五年目を迎えた平成八年でした。この十五年の間には世の中にも大きな変化がありました。時代は昭和から平成に移り、地元瀬戸内海には巨大な瀬戸大橋が建設され、長く岡山と香川を結んできた連絡船も廃船となり、親しんだ海の風景は大きく様変わりしました。我が家もこの間に小さな家を構えることが出来たものの、義母が病床に着き、看病に明け暮れる日々が十年ほど続きました。が、子供達もそれぞれ就職も決まり、ようやく十五年ぶりに穂高神社を訪れることが出来ました。静かな奥宮は、厳しい自然の環境にも、移り行く世の中の流れにも少しも変わりなく、昔のままの風情が心に安らぎを与えてくれました。
最近では娘が登山に興味を持ち始め、四国の山や信州の山に登るようになりました。「私もお父さんのように穂高神社で二人きりの結婚式をして、十年ごとに訪ねたい」と言った時は、親子二代の結婚式の実現に嬉しく思いつつも、やはり親としては娘に花嫁衣裳を着てもらいたいという希望に、自分勝手さが気恥ずかしくなりました。
そして、三十三年めにあたる平成十六年五月。退職を機に上高地に向かいました。出発十日前から台風の接近が気がかりでしたが、訪れてみれば天気はうそのように回復。この地には幾度となく訪れてはおりましたが、これほどまでにすばらしい天気に芽ぐまれたことはありませんでした。真っ青な空に白く残る穂高の吊尾根は目に鮮やかに、雪解の水を集め水かさを増した梓川の清らかな水音は耳に心地よく響きました。昼間は訪れる人の多くなった奥宮も、そのたたずまいや、朝の明神の湖面を渡る静けさは変わりなく私達を迎えてくれました。またこの時は上高地を訪れる度、いつかは泊まりたいと思っていた帝国ホテルに妻の誕生日に泊まることが出来ました。ベランダから見える穂高連峰の美しさは私達家族のよい思い出となりました。
四十年目にあたる七年後には息子、娘夫婦と孫に手を引かれながら、明神橋を渡り、山のひだやに宿をとり奥宮に参ることでしょう。その時には今まで幾度となく訪れた光景が目に浮かんで、昔を懐かしむことでしょう。
五十年目には私は七十九才になりますが、どうしても元気で穂高神社に参りたいと思います。それは私達夫婦の出発点であり、人生の数々の思い出と心の故郷である上高地、穂高神社奥宮、明神池、山のひだやを人生の到着点にしたいのです。
私達夫婦二人に子供が生まれ、子供達に連れ添いができ、それぞれに孫が生まれ、大家族で揃って到着点の奥宮に参拝できたら、これ以上の喜びがありません。
 結婚以来十年目ごとに夫婦、子供、孫達と、多少の予定変更もありましたが、何とか穂高神社に参拝を続けていくことで、家族の絆はいっそう深められていくと思います。

 

平成17年祭事日程

十二月三十一日(金) 午後十一時四十五分         除夜祭
一月   一日(土) 午前零時         歳旦祭
元日 〜 一月八日まで         新春祈願大祭
一月九、十、十五、十六         厄除八方除特別祈祷際
一月十一日(火) 午後時         満願祭
二月三日(木) 午後三時         節分祭
三月十七日(木) 午後           奉射祭
三月十八日(金) 午前十時        翌日祭
三月二十三日(水) 午後八        秋葉社宵祭
三月二十四日(木) 午前十時       秋葉社本祭
三月二十七日(日) 午前十時       勧学祭
四月八日(金) 午前十時           末社祭
四月十七日(日) 午後八時         厳島社宵祭
四月十八日(月) 午前十時         厳島社本祭
四月十九日(火) 午後八時         穂高霊社宵祭
四月二十日(水) 午前十          穂高霊社本祭
四月二十四日(日) 午後八時        菅原社宵祭
四月二十五日(月) 午前十時         菅原社本祭
四月二十七日(水) 午前十一時       上高地開山祭
残雪の状況によって日時変更の場合があります
五月二日(月) 午前十時           穂高霊社山葵田御料圃祭
五月二十二日(日) 午後二時           高島章貞顕彰祭

 

おまつりのご案内

月旦祭 毎月一日 午前十時斎行
月次祭 毎月二十七日 午前十時斎行
月の初め、また例祭に縁有る日に氏子、崇敬者の家内安全、交通安全、事業繁栄等を大神様の大前に祈願いたしております。
毎月一日、二十七日のこの祭に氏子の皆様多数御参列下さい。

○師走大祓式
 十二月三十一日午後三時斎行
 夏越大払式から半年が過ぎ、この間におこる罪やけがれ(あやまち・災難)を人形に託してお祓いし、清浄なる心・体にて新年を迎える儀式です。

○新春交通安全祈願大祭
 一月一日より八日
  午前九時から午後四時半
 年頭にあたり、参拝者皆様方の一年間の交通安全、家内安全、事業繁栄等を祈願いたします。

○厄除・八方除特別祈禱際

一月九、十、十五、十六日
 午前九時から午後四時半
 本年の厄年また八方塞がりの年回りに当たる方々を全幣祓いにてお祓いし、一年間の平穏無事をお祈りいたします。

○三九郎(どんど焼き)
  一月十五日 午後三時頃点火
 松の内があけ、飾り終えた門松、注連縄を持ちより、清浄な火でたきあげます。この行事は、一年の始めにあたり、祓い清めて暖かい春の到来と今年の五穀豊穣、・無病息災を祈る行事です。
 また境内では、一時半より餅つきを行い、皆様に振舞います。

○節分祭・竈神祭
 二月三日 午後三時半斎行
 節分祭は暦の上で大寒が明け立春に先だって、一陽来福を祈り「あしき鬼」を追い祓う行事です。また、境内では年男、年女が豆をまき、併せて景品付福豆もまかれ大勢の参拝者で賑わいます。

年男年女の豆まき参加者募集
参加費 金五,〇〇〇円

竈神祭は生活をしてゆく上で最も大切な火に感謝し、火の災害が起こらないように、この火の恵を感じる節の替り目に火の神「竈(かまど)神(かみ)」をお祀り致します。祭典後に各家庭に神符幣束をお頒け致します。

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